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Love Affair


「じゃあ。11月18日の12時に、西蘭女子大の正門前のバス停で待ち合わせでいい?」
「いいよ」
「盛り上がるらしいのよ、うちの学校の学園祭。模擬店もたくさん出るし、ライブやほかの大学との合同ダンパとかもあったり、被服科のファッション・ショーは、かなり有名らしいのよ」
「楽しみだな。あと三週間か」

川島君とふたりで過ごす、昼下がりのカフェ。
彼はざっくりとしたセピア色のカーディガンに白いシャツ。テーブルに頬杖ついて、コーヒーを飲んでいる。
わたしといえば、向かいの席で熱いコーヒーカップを両手であたためながら、じっと彼のこと、見つめている。手のひらにじんわり伝わってくる、ぬくもり。

いいな。こういうの。
ふんわりとしたパステル画のようで、さりげないけど、あったかい…
もう、ずっと前から、わたしはこんな景色に憧れていた。
川島君と同じテーブルを囲む。
なんでもないような言葉をかわす。
未来のことを約束する。
川島君が微笑むのを見ている。
彼の瞳を、じっと見つめている。
そんな瞬間が、好き…

1ヶ月前まで、川島君はわたしにとって、いわば『アイドル』だった。
そりゃ、恋はしていたけど、叶うなんて思ってもなかったし、ただ見ているだけで、わたしの実際の生活には関わっていない、あこがれ的な存在だった。
でも今は、川島君の存在がとっても身近なものになっている。
こうしていっしょにお茶したり、ご飯食べたり,同人誌を作ったりと、同じ時間をいっしょに過ごし、お互いの心を少しづつ溶かしあっているように感じる。
わたしはかけがえのないこの瞬間を、なくしたくはない。

「同人誌のメンバーも誘おうか。みんな女子大なんて行ったことないだろうから、勉強になると思うよ。特に野郎どもにはね」
川島君はコーヒーにミルクを入れながら、おどけて言った。
「え? そ、そうね。みんなといっしょだと、楽しいよね」
「だよな。男が女子大に入れるなんて、貴重な体験だよ」
「あ〜。川島君、なんだかおじさん発言」
わたしもは明るくそう言いながら、ミルクピッチャーをカップに傾ける。ミルクは散りながら、渦を巻いてコーヒーに溶け込んでいく。

『川島君はわたしとふたりだけでいたいわけじゃ、ないのね…』
一瞬にして散っていく、わたしの甘いひととき。
わたしの憧れているものは、ただの幻想だって、思い知らされる一瞬。
わたしと川島君は、ただの友達。
コーヒーよりも苦い…

「そうだ。今度の日曜日の同人誌の集会。1時に駅前のマックに集合だよ」
「わかったわ」
「さつきちゃんも、作品できてたら持ってきてくれ。そろそろ編集にとりかかろうと思うから」
「うん」
わたしは自分の気持ちを悟られまいと、できるだけ明るく返事をした。


 10月おわりの空は真っ青に澄みわたっていて、あかね色に染まった樹々の葉と、綺麗な補色を描いている。
そんな日曜日。駅前の『マクドナルド』は、雑多な人たちでいっぱいだった。
わたしが店に着いたときは、川島君は奥の席で4、5人の男女と話に夢中になっていて、すぐには気づいてもらえなかった。
「川島君。ごめんなさい、遅くなっちゃって」
わたしはみんなの席に近づき、川島君の隣に立って声をかける。空いている席には、みんなの鞄や資料、作品なんかが山積みにされていて、腰をおろす場所がない。
「いいよさつきちゃん。みんな今来たとこだから。あ、紹介するよ」
そう言いながら川島君は座席の荷物を脇に寄せ、わたしの分の席を空けてくれた。みんな、いっせいにわたしに注目する。ん〜、ちょっと恥ずかしいな、こういう瞬間。
 一見して大学生とわかる、洗いざらしのジーンズをはいた、太めのオタクっぽい男の人と、背が低くて眼鏡をかけた、ちょっと神経質そうな男の人。カーリーヘアの細くて綺麗な女性に、小さくて可愛いショートヘアの女の人。みんな紙袋を持ったり、封筒を持ったりしている。
「はじめまして。わたし『志摩みさと』です。もちろんペンネ−ムだけどね」
カーリーヘアの綺麗な女性が、最初に自己紹介をしてくれた。わぁ、この人声が素敵。
綺麗だけどふんわりとした雰囲気で、瞳が大きく、唇がふっくらとして蠱惑(こわく)的。全体から漂ってくる雰囲気が、『つやっぽい』っていうのかな? もうひとりの女性の方が、どちらかというとクールで知的なイメージなのと対照的に、コケティッシュな魅力なのよね。
そんな彼女に続いて、もうひとりの女の子と、オタクっぽい男性、眼鏡の男性の順に、それぞれ挨拶してくれた。
「こんにちは、『紗羅』です。川島君から聞いてます」
「俺はペンネーム『悠姫ミノル』です。授業中にマンガを描いているのを川島に見られて、この同人誌に誘われたんだ。よろしく」
「松尾です。あ、まだ本名。よろしく」
「松尾以外は、みんな同じ専門学校生なんだ」
最後に川島君が説明してくれた。みんな親切そうな人たち。これならうまくやっていけそうかな。

「さつきちゃんは、原稿仕上がった?」
「うん、なんとか。まだちゃんと校正してないから、誤字脱字があったらゴメンね」
そう言いながら、わたしは夜なべして完成させたばかりの原稿用紙の束を、川島君に差し出す。
「これでだいたい原稿は揃ったな。これから編集作業か」
川島君はわたしの原稿を封筒に入れながら話す。
「どんな風に本にするの?」
志摩みさとさんが、川島君にちょっとからだを寄せながら訊ねる。
彼女の話し方は、そんな事務的な内容でも、なんだかしっとりしていて、その綺麗な声が耳の奥の脳細胞にからみつく感じ。
いいな。こういう本能的な艶を出せる女の人って。みっこの時もそうだったけど、こんな魅力的な女性と知り会うとやっぱり、つい、チェックしてしまうのよね。
「オフセット印刷はお金がかかるから、コピー誌だな。どうせ20部程度しか作らないし」
川島君は彼女の目を見つめて答える。なんだか優しい瞳。
う〜ん。
こんな風に、川島君が優しい瞳で他の女の人を見つめるのを、はたから見ているのは、やっぱり心がおだやかでないかな。特に、相手がこんなに綺麗な女性なら…
わたしのもやもやをよそに、川島君は話しを続けていた。
「コピーなら1枚10円で計算して、100ページの本でも2丁付けなら500円で印刷できるし、紙代や綴じ代を入れても、会費は1000円あれば充分だろう」
「写真とかもあるんだろう? コピーだったら綺麗に出ないんじゃないか?」
と、松尾さんも川島君に聞いた。
「うちの学校にMacintoshの『IIfx』があるんだ。写真をスキャナで取り込んで、それをレイアウトしてプリントアウトしようと思ってる。先生から使用許可ももらったし」
「川島、段取りがいいな」
「はは。本当は自分でパソコン一式買いたいんだけど、値段が高すぎるからな。
でも、原稿が揃ったのはいいけど、文字は自分たちで手入力しなきゃならないから、これからが大変だよ」
コンピューターのことなんて、わたしはわからない。
「入力って?」
「ああ。今度の同人誌はある程度はパソコンで作ろうと思ってるんだ。だから文字も活字にできるんだよ」
「ワープロみたいなもの?」
「まあね。『PhotoShop』とか『FreeHand』でもパソコンのソフト上で画像の加工とか配置もできるんだよ。だから、出版社が出している本と同じような装丁もできるんだ。『Adobe』社もドロー系のDTPソフト出してるけど、『Illustrator』はまだ『FreeHand』よりは使い勝手が悪いかな〜」
川島君と悠姫ミノルさんが交互に教えてくれた。
「すごい! コンピューターで同人誌作るなんて。なんかハイテク」
「ビジュアルアーツ専門学校生なら、そのくらいできないとな」
「わ〜、楽しみ。わたしもワープロほしいんだけど、高いから買えなくて。自分のお話しが活字になるってのに憧れてたんだ。嬉しい〜」
「期待しててくれよ」
川島君は笑ってこたえる。
「ふーん」
そんな話で盛り上がっていたわたしたちの隣で、わたしが持ってきた小説の原稿を読んでいたみさとさんが、感心したように言った。
「弥生さん。とってもいいお話し書くのね。この主人公の『パセリ』ちゃんに感情移入しちゃって、なんだかホロっとしてきちゃった」
「え? そうですか?!」
「すごく面白かったわ。他にも今まで書いたものがあるんだったら、今度見せてほしいんだけど、どう?」
「ええ。今度の集会の時に持ってきます」
わたしの声は、きっと弾んでいたと思う。やっぱり人から褒められるのは嬉しいもの。みさとさんも『じゃあ、わたしのも読んで感想聞かせてね』と微笑みながら言う。
確かに、川島君と創作活動をいっしょにできるのは嬉しいことだけど、こんな風に創作意欲を刺激されるのは、モチベーションもテンションも上がってくる。やっぱりこのサークルに入ったのは、正解だったかな。


「恵美ちゃん、遅いわね」
ハンバーガーを食べながら、持ち寄った作品や編集の話なんかをしているとき、不意に、志摩みさとさんがそう言った。
わたしはドキリとした。
『恵美ちゃん』って、蘭(あららぎ)恵美さんのこと?
志摩みさとさん、彼女のことを知ってるんだ。
しかし、蘭恵美さんのことを知っているのは、彼女だけじゃないみたいだった。
「恵美ちゃん、今日は学校に寄らないといけないんだってさ。もうすぐ来ると思うよ」
川島君が原稿に目をやったまま、コーヒーを飲みながら話す。彼の口から「恵美ちゃん」という親しげな呼び方を聞くと、やっぱり心がざわついてしまう。
「やった。きゃわいい女子高生のブレザーとミニスカ姿が見れるな」
「ミノル、よだれたらすなよ」
「恵美ちゃん美少女だしね。男どもが鼻の下伸ばすのも、無理ないか」
「まあ、それを知ってて武器にするタイプだもんね。彼女」
みんなの会話に、わたしは心臓の音が速くなるのを感じながら、口をはさんだ。
「あの… 恵美ちゃんって?」
「ああ。ぼくの高校の時のクラブの後輩だよ」
「すっごいわがままな子なのよ。可愛いから許すけど」
川島君の言葉のあとに、志摩みさとさんがつけ足した。
「あ。写真見ます? 川島が撮ったやつ」
そう言いながら、松尾さんが封筒から数枚の写真を取り出した。

綺麗な夕焼けの海に、ひとりの少女が佇んでいる写真だった。
真っ赤な景色の中に、小さく写った少女の後ろ姿。
だけどそれは、川島君の心の中の海に、入ることを許された女の子。
次の写真は彼女のアップ。レンズを通して川島君を見つめて微笑む表情が、ふたりの距離のなさを物語っていた。

…なんだか、イヤな予感。
まさか、こんなところで、蘭さんといっしょに活動することになるなんて…
もしかして、このサークルにいる限り,わたしは川島君と蘭さんをずっと見てなきゃいけないのかしら?
そんなこと、今のわたしに耐えられるかな?

「お。噂をすれば、だな。こっちこっち!」
川島君がそう言って、店に入ってきた制服姿の女の子に手を振った。川島君… わたしのときは気づいてくれなかったのに…

彼女…
蘭恵美さんは、制服のミニスカートをひらひらさせながらこちらにやってきたが、わたしを見て「おや?」という様な表情をした。
「ああ、はじめてだったね。彼女は高校の時の同級生で、弥生さつきさん。さつきちゃん、彼女が蘭恵美ちゃん」
「…はじめまして」
「は、はじめまして」
彼女は訝しそうに、ぎこちなく会釈する。わたしもおどおどと挨拶した。

これが運命のいたずら?

こうして蘭さんと、直接話すことになる日がくるなんて、あの時は思いもしなかった。
そう…
あの、雪の降りしきる冬の日の放課後には。

「川島先輩から、お話しはうかがってました。弥生先輩、小説お書きになるんですってね」
蘭さんは私を見つめ、まるでなにかを警戒するような、愛想のない顔でそう言った。
「書くってほどじゃないけど」
「わたしは文才なんてないけど、去年からずっと川島先輩のモデルとして、作品づくりに協力してるんです。先輩ってふだんはとっても優しいけど、写真撮る時は鬼になるんですよ。笑っちゃいますよね」
『笑っちゃいますよね』とか言いながら、彼女はピクリとも微笑まず、口調はさらにぶっきらぼうになっている。
その言葉のはしには、自分の方がわたしよりずっと川島君のことを知っていて、川島君のモデルをしているという、優越感みたいなものが漂っていた。

わたし、バカだった。

本屋での奇跡の再会に浮かれて、運命の赤い糸みたいなものを感じていたけど、川島君はわたしが知らないところで、確実に、この子といっしょの時間を過ごしていたんだ。
だけどわたしは、それを責めることも、嘆くこともできない。
こないだみっこが言ったとおり、わたしにはそんな「資格」なんてない。
だって、わたしと川島君は、ただの『友達』だから…

はぁ…
なんだか凹んでしまう…

彼女を交えた集会の続きを、わたしは自分の本心を悟られないようにして過ごした。



「みっこ、どう思う?」
その夜わたしは、思いあまってみっこに電話してみた。
わたしはその日の集会のことを、事細かに話す。みっこは確認するように言った。

「ふたりとも、別に『恋人同士です』って、カミングアウトしたわけでもないし、それらしい態度もとってないんでしょ?」
「まあ、そうだけど」
「それだけじゃ、川島君と恵美ちゃんがほんとにつきあってるかなんて、わかんないんじゃない?」
「そうかなぁ?」
「やっぱり、まずは恵美ちゃんが『彼女』なのかどうか、確かめることよね」
「『恵美ちゃんは彼女?』って、川島君に聞くの?」
「うわっ。すっごい直球勝負。『そうだよ』って打ち返されたら、もうゲームセットじゃない」
「じ、じゃあ、どうすれば」
「会話の流れの中で、さりげなく、自然に聞き出すといいんじゃないかな?」
「それで、やっぱり恋人同士だとわかったら、どうするの?」
「さつきはどうしたいの?」
「う… ん」
「それでもやっぱり友達でいたいの? だったら、あなたの気持ちは完璧に隠しておいた方がいいかもね。その上で、チャンスを待つことかなぁ」
「『チャンスを待つ』って、ふたりが別れるまで待ってるってこと? なんだか、あみんの『待つわ』みたい」
「まあ、ほんとにふたりが恋人同士だったらの話だけどね」
「その仮定、もうやめよ。なんだかせつなすぎて…」
「そうよね。まずは事実の確認からよね。それにあたし、恵美ちゃんもだけど、その『志摩みさと』さんって人も、気になるかなぁ」
「え? 志摩みさとさんが? 確かに彼女、美人だし、なんだか放っとけない雰囲気があるけど」
「まあ、一応マークしてた方がいいかもね。一般論だけど、男の人ってそういう『守ってあげたい系』の女性には弱いみたいだから」
「お、脅かさないでよ」
「だから一般論だって。ふふ。でもさつきだって、なんだか守ってあげたくなるタイプなのよね」
「じゃあみっこは、『攻めてもらいたい系』ね?」
「ん〜。それってなんだか複雑。女の子として… まあ、今はさつきの恋の話なんだけどね」
「そうかぁ、志摩みさとさんかぁ…」
「とにかく、いろいろはっきりさせた方がいいんじゃない?」
「でも、それも怖いのよね… どうしよう…」
 
そんな埒のあかない堂々めぐりな会話をしながら、わたしはみっこを夜遅くまでつきあわせてしまった。とりあえず今は自分の恋愛でいっぱいいっぱいで、みっこには迷惑かけるけど、わたしの話を熱心に聞いて、アドバイスしてくれる彼女に、今は甘えたかった。


 次に川島君に会ったのは、小説講座の開催された金曜日夜。
いつものようにふたりは講座の帰り道に、『紅茶貴族』でお茶を飲みながらおしゃべりしていた。
もう見慣れた店内に、いつものアールグレイ。川島君といつものような文学やサークルの話。
今まではそれで満足していたんだけど、今日はなんだか落ち着かない。
わたしは川島君と話しながら、どんなタイミングで蘭さんのことを切り出そうかと、内心焦っていた。わたしはみっこみたいに、会話をリードしていくなんてできないし、気ばかり焦るだけで、彼の会話の内容もうわの空だった。

「そうそう。今学校のパソコンでみんなの原稿入力してるところだけど、さつきちゃんの小説の入力終わったから、校正しといてくれる?」
そう言って川島君は活字になったわたしの原稿のプリントを取り出した。
「わあ。こうして活字で読むと、自分の文章も客観的に見れる気がするわね」
「最後の余韻がよかったな。『パセリ』ちゃんのその後がいろいろ想像できるようで」
「あ、ありがとう」
「次はどんなの書く予定?」
「ん〜。まだわかんないけど…」
と思案しながら、わたしの頭に名案が浮かんだ。

「今度は恋愛小説を書いてみたいと思ってるの。でもわたし、男性心理とか、よくわからないのよね」
小説の話題にかこつけてこのまま恋愛話に持っていって、うまいこと蘭さんのことを聞けないかな?
川島君はそんなわたしの思惑も知らず、話しに乗ってきてくれた。
「恋愛小説か… 面白そうだね。でも、ぼくの乏しい経験じゃ、そんなに参考にならないかな」
「そう? でも川島君って高校の頃、すごいモテてたじゃない?」
「ぼくが? そんなことないと思うけど」
「わたし… 見たことあるのよ。川島君が、蘭さんと下校してるとことか」
気持ちが焦っているせいか、わたしはいきなり本題に突っ込んでしまった。
蘭さんのことは、できるだけふつうに切り出したつもりだけど、わたしの心臓の音は、川島君に聞こえてしまいそうなくらい、激しく高鳴っていた。でも川島君は、そんなわたしの気持ちには、まったく気づかないみたい。
「あぁ。恵美ちゃんには高校の時からモデルやってもらってるから、いっしょに帰ることもあったな」
「川島君と蘭さん、お似合いよ」
わたしは作り笑顔で、努めて明るく話す。なんでこんな、心にもないこと言っちゃうんだろ。
しかし川島君は、急に表情を曇らせた。
「イヤなんだよな。そういうの」
「え?」
わたしはドキリとした。もしかして、川島君の気に障るようなこと、言った?
「彼女はただのモデルの後輩なんだよ。ぼくは純粋に作品づくりのための、カメラマンとモデルの関係と割り切っているけど、『いっしょに帰った』とか、『写真撮った』とかだけで、彼氏だの彼女だのいう奴もいて、『ヌード撮ったか?』とか『やったか?』とか低俗なこと言う奴までいる。
ぼくは恋愛と作品づくりは別のものと考えてるのに、そういうくだらない視線で見られるのって、イヤなんだよ」
「ごっ、ごめんなさい。わたし」
「あ… さつきちゃんのこと言ってるわけじゃないよ」
川島君はうつむいているわたしを見て、フォローを入れてくれた。

そうか…
蘭恵美さんのことは、川島君はただのモデルとしか見てないのか…

わたしはほっとしたと同時に、なんだか拍子抜けしてしまった。
高校時代のあの、わたしの運命を変えたと思った大事件は、実はなんのことはない『オチ』がついていたってことか。
なんだか、今までずっと悩んできて、損しちゃったみたい。
もっと早くこんな風に、川島君にほんとのことを聞けたらよかったんだけど、挨拶する勇気さえなかった当時の自分には、無理な話よね。
まあ、川島君のご機嫌損ねるようなこと言ってしまったのは失敗だったけど、とりあえずふたりの関係の確認はできたので、よしとするかな。
なんだか… 希望の光が少し見えてきた気がする。
川島君と蘭さんを巡る噂話を、周りからいろいろ聞かされて、ずっとわたしを悩ませていたふたりの関係が、実はなんでもなかったことを、川島君本人の口から聞けて。

 気持ちが明るくなったせいか、わたしは少しおしゃべりになった。
「そうよね〜。わたしも、男性心理知りたいと思って、ただの男友達と恋愛話なんかしてて、人に誤解されたらいやだもん。男女で創作活動するのって、意外と難しいのね。世間的に」
「そうだな」
川島君は笑う。
「ぼくは恋愛経験ほとんどないけど、理想としては、お互いが尊敬しあって、人間性を高めあえるような恋愛ができればなって、思うんだよ」
「あ。それいい。『エースをねらえ!』の岡ひろみと藤堂さんみたいな感じ。男と女って前に、同じ人間として対等につきあえればいいよね。お互いにないものをそれぞれ持ってるんだもの、尊敬しあわなくちゃね」
「そうだよな。男と女って、いっしょになってはじめて完全な人間になれる気がする。凹と凸を組み合わせる様に。まあ、体の構造もそうなってるけどな」
「やだ。川島君っ」
「あははは、ごめんごめん。だけどみんな、人間性を磨くより、凸凹をくっつけることにばっかり熱心なんだよな〜」
「ん〜… しかたないよ。だってやっぱり、興味あるもの」
「さつきちゃんも?」
「あ、あたりまえじゃない。わたしだって女の子だもん」
ちょっと舌が軽くなりすぎかな。
「川島君は、そんな経験、ないの?」
え? わたし、なんか大胆な質問しちゃってる!
「だから、恥ずかしいことを何回も言わせるなよぉ。この年でドーテーだなんて、ちょっとした屈辱なんだから」
「大丈夫。わたしも、まだだから」
「そうか〜。さつきちゃん、まだバージンなのか…」
「な、なに嬉しそうに言ってるのよ。恥ずかしいじゃない」

なんかすごい。
わたし今、川島君と恋愛話ししてる!
まさか今日彼と、こんな深い話ができるなんて、思わなかった。
でも、話の流れが妙な方向にいっちゃってる。今夜は人目につかないボックス席に座れたから、そんな大胆な会話もできるのかも。ふたりとも紅茶で酔っちゃったかな。

「でも、さつきちゃんって可愛いのに、彼氏いないなんて、なんだか不思議だな」
川島君は頬杖ついて、わたしを艶っぽく見つめながら言う。
「そ、そう? そんなこと言われたの初めて…」
『可愛い』だなんて… 
好きな人からそんな風に言われると、なんだかからだの中の脳内麻薬(エンドロフィン)がどんどん分泌されてくるようで、幸せな妄想とか幻想が膨らんでくる。
顔にも血がのぼってきて、耳たぶまで熱くなって火照る感じ。川島君からこんなに色っぽい視線で、見つめられてるからかもしれない。
「川島君だって、素敵だし、告白されたこととかもあるんでしょ。その子と『つきあいたい』とか、思わなかったの?」
わたしはさらに、突っ込んだことを聞いてしまった。なんだか、これまで川島君に聞きたくても聞けなかったことが、次々と言葉になってくる感じ。
「ん〜… どんな人間かも知らずにつきあうってのは、微妙かな。そりゃその人を見るためにとりあえず会ってみたことはあるけど、『いい友だちでいようね』ってくらいにしか感じなかったし」
「あっ。なんかひどーい。女の子に期待だけさせて」
「そ、そう?」
「それって、けっこう残酷なやり方かもよ。その子だって、勇気を出して告白したんだろうし、そうやって会ったりしたら、女の子だって期待を抱くじゃない。
その気がないなら、最初から会ったりしない方がいいと思うわ」
「残酷か… そうだな、ぼくも女性心理ってわかんないから」
あ。素直な感想言い過ぎて、ちょっと落ち込ませちゃったかな?
「でも、すごくいいと思う。ちゃんと女の子の内面を見ようとするのは。たまたまいい子がいなかっただけで、川島君ならすぐに童貞卒業できるわよ」
「さつきちゃん、それフォローになってないって」
「あは。ごめんなさい」
川島君はちょっと考るように、紅茶をゆっくり飲み干して、言った。
「『卒業イベント』はやっぱり、一番好きな子とがいいかな」
「へえー。そりゃそうだけど… 好きな人のために処女をとっておくってのは聞くけど,男の人のそういう意見って、珍しくない?」
「そうだな。ぼくが変なのかも。周りの男たちはフーゾクとかで筆おろししたりしてるから」
「わあ。それ幻滅」
「だよな。恋と愛って、相(あい)反する感情だと思うんだ。恋は束縛するけど、愛は受容するものだろ。束縛したいほど好きな人に、自由に振る舞わせるのって、すごい矛盾だよ。
恋愛って、その葛藤を乗り切る、心のパワーを必要とするんだと思うよ。そんな恋愛をして、初体験ができたら、最高に幸せだと思うよ」
「ふうん。思春期の男子って『木の節穴にも入れたい年頃』なんていうけど、川島君ってすごい冷静で理想主義者なんだ」
「『男だから』って、ひとつに括られたくないな。だけどさつきちゃんも、『木の節穴にも入れたい』って、ずいぶん下品な言葉知ってるなぁ。さすが小説家志望」
「ごっ、ごめんなさい。わたしったら」
「いいよいいよ。さつきちゃんも、もう恋愛小説通り越して、ポルノ小説書けるんじゃないか?」
「んもぅ。川島君ったら」

『恋と愛って、相反する感情』か…
理屈っぽいけど、わたしには彼の言葉が、素直に心に溶け込んでくる。
「そうよね。好きな人にはその人が思うことを自由にしてほしいけど、でも、わたしだけを見ててほしいって思う気持ちも強いものよね。矛盾する感情をいっぺんに抱え込んで、頭が混乱しちゃいそう」
そう言いながらわたしは心の中で、好きな写真に没頭する川島君と、それを応援しながらも嫉妬する自分の気持ちが渦巻いていた。
だからかな?
つい、そんなことを訊いてしまった。

「川島君は、蘭さんを撮るのが好きなの?」
「ああ。恵美ちゃんは魅力的な女の子だよ。被写体として」
「…そう、なんだ」

蘭さんがあの時に見せた瞳は、川島君を想っているものに感じられた。
川島君が蘭さんを『モデルとして撮りたい』という気持ちは、頭じゃ納得できても、自分の中の女の部分が、それに対してやっぱり不安を抱いて、つまらない妄想をしてしまう。蘭さんのことは、今は別に恋愛感情抱いてないとしても、もし彼女からアプローチされれば、好きになるかもしれないじゃない。
そんなつまんないことを、つい考えてしまう。
好きな人を独り占めしたいって感傷が、やっぱり恋かなぁ。
「恋って、苦しいよね…」
わたしの口からは、そんな言葉が自然にもれた。
川島君になら、なんでも安心して話せそう。川島君はちょっと間を置いて、訊く。

「さつきちゃんは今、好きな人いないの?」
「わ、わたし?」
え。ドギマギしてしまう。
好きな人から直接そんなこと聞かれるなんて。
「わたし、そりゃ、いるけど…」
「…いるんだ」
「でも、やっぱり自分が傷つくのが怖いのかなぁ。『見てるだけでいい』とか『友達のままでいい』とか、つい受け身になってしまうのよね。友達からも指摘されたことなんだけど、それってなんだか子供の恋愛ごっこよね」
「失恋なんて、やっぱり辛いからな。でもその壁を超えなくちゃ、新しい展開も見えてこないんだし、先に進むって、勇気のいることだよ」
そう答える川島君を、わたしは横目で見た。彼もわたしを見ていて思わず目が合う。彼はじっとわたしを見つめる。そらせない。わたしは彼の瞳の中に吸い込まれてしまいそうな錯覚をおぼえる。その瞳は、すべてを許してくれそうな、優しさをたたえていた。

わたし、今が『壁』を超えるときなの?
川島君の心の扉は,今、わたしに向かって開かれているような気がする。
わたしはそこにまっすぐ飛び込めばいいの?

「川島君は、好きな人。いるの?」
わたしは訊いた。
言葉が少し、震えてた。
手にしている紅茶の冷めたカップが、かすかにカチカチと鳴って波紋を作っている。
「ぼく?」
川島君の瞳に一瞬、困惑の色がよぎった。

しまった!
こんなこと、訊くんじゃなかった。
わたしの幻想は、またたく間に崩れていく。
『心の扉が開かれている』なんて、ただのわたしの思い込み… 
『川島君になら、なんでも安心して話せそう』なんてのはただの錯覚で、ふたりの間にはやっぱり、越えられない壁がある。

「あ。無理に言わなくていいの。でも頑張ってね。わたし応援してるから」
わたしは慌てて、明るく軽くその場を取り繕う。
「ああ。ありがとう。じゃあ、頑張ってみようかな」
川島君はぎこちなく微笑んだ。


 眠れない。

さっきまでのいろんな会話が、頭の中を何度もぐるぐるかけ回って、脳細胞を刺激している。
川島君にさらに近づけたのはいいんだけど、わたしのキャパをオーバーフローしちゃったみたいで、溢れだした彼の意識が渦を巻いて押し寄せて、わたしを翻弄している感じ。何度も寝返りを打ちながら、思いあまってわたしはみっこに電話する。
もう夜中の12時を過ぎているというのに、みっこはわたしの話を真剣に聞いてくれた。

「さつきって、ドジよね〜」
「え? なにが?」
「その流れだったら絶対、川島君はあなたに告白しようとしたのよ。なんで引いちゃったのよ。せっかく大チャンスだったのに」
「そ、そんな…」
「チャンスの女神は前髪しかないのよ。次こそは絶対キメようね」

彼女と話していると、わたしは勇気がわいてくる。
『次の機会に川島君に自分の思いを告げる』っていう結論が出た頃には、時計の針はもう3時を回っていた。


 次に川島君に会うのは,日曜日のサークルの集まりの予定だった。
わたしはいつもの駅前のマックに向かう。
今日の川島君との会話を予想して気持ちが高ぶっていたわたしは、思いのほか早い時間に着いてしまい、気持ちを鎮めるためにホットココアを注文し、窓辺のカウンターに腰をおろして、みんなが来るのを待っていた。

 最初にやって来たメンバーは、意外にも蘭恵美さんだった。
彼女はわたしを見つけてやっぱり「おや?」というような顔をして、わたしの隣に座った。
今日の彼女は、ちょっと胸元の開いたピンクとギンガムチェックのカットソーを重ね着し、フレアがたっぷりのミニスカートにオーバーニーソックスと、こないだ会った時よりも、さらに可愛いらしくておしゃれな格好。
チラリとのぞく胸のふくらみや、ミニスカートからすらりと伸びた脚が、女のわたしから見ても、なんか色っぽくてドギマギしちゃう。やっぱり可愛い子だなぁ。

「先輩。川島先輩のこと、どう思います?」
外の景色を眺めながら、隣で黙ってジュースを飲んでいた蘭さんは、わたしの顔も見ず、いきなりそう訊ねてきた。
「え?」
「川島先輩。優しいし、頭いいし、行動力あるし、ルックスも割といいじゃないですか。わたし、先輩のこと、好きなんです」
「ええっ?」
今日のわたしのシナリオになかった、意外な展開。
「でも川島君と蘭さんって、カメラマンとモデルの関係なんでしょ?」
「わたし、それで終わらせる気、ないんです」
「…」
この子、どうしてわたしに、こんなストレートなこと言うのかしら? 蘭さんは椅子から浮いた脚をぷらぷら振らし、手持ち無沙汰にストローを噛みながら、続けた。
「だいたい、好きじゃないと、モデルになんか誘えないんじゃないですか?」
「そ、そう?」
「川島先輩の方から『モデルしないか?』って誘ってきたんですよ。
先輩は『モデルとして割り切ってる』なんて言って誤摩化してるけど、友達以上に優しくしてくれるし、恋愛感情がないと、あんなに素敵な写真を撮るのって、無理だと思うんです。でしょ?」
『…ええ。まあ…」
「先輩、わたしのことが好きなんですよ。
でも照れ屋さんだから、『割り切ってる』なんていうのは、わたしから振られたくない『いいわけ』だと思うんですよ。やっぱりわたしの方から、背中を押してあげなきゃいけないんですかね〜」
そう言って彼女はわたしの顔を見て、意味深に微笑んだ。

…すごい思い込み。
確かに蘭さんって可愛くって魅力的だけど、そこまで言い切るのって、向こう見ずなほどの自信。
でも、彼女の言い分もなんだか説得力があるような気がして、わたしの決心はグラついてしまった。
実際川島君は『失恋なんて、やっぱり辛いからな』なんて、リアリティのあること言ってたし…

 そのあとすぐみんなが揃い、集会が始まったが、同人誌の話をしている時も、わたしは川島君と蘭さんから目が離せなかった。
 蘭さんは川島君の隣に座って、コロコロと笑っている。
時には、川島君の冗談に「やだ、先輩」などと言いながら、ポンと川島君の肩をたたいたり、必要以上に川島君に顔を近づけたりと、すごいアピールっぷり。
川島君も、ふとした仕草ではだけてしまう蘭さんの胸元に、なんだか視線が吸いついている気もする。
蘭さんってしたたか。計算ずくでそんな仕草ができるんだから。
そういえば高校の頃、蘭さんは『クラスの女子からはあまり好かれてない』って噂だったけど、それもわかる気がするなぁ。こういう異性と同性で態度が違うタイプって、わたしも苦手。
それにしても、こないだの集会じゃ、蘭さんももう少し控えめな感じだったのに、なにが彼女をこんなに積極的にさせたんだろう?

結局、今日の集会では、川島君とふたりっきりになる機会もなく、蘭さんのねだるまま、解散のあとも川島君は、彼女といっしょに帰ってしまった。

 今日は川島君と一世一代の勝負に出るはずだった。
だから服もいつもよりよそゆきのものを着てきたし、メイクだって念入りにしたつもりなのに…
なんだか肩すかしをくらったような気持ちで、わたしは私鉄の駅のホームで、帰りの電車を気が抜けたように待っていた。
「さつきさんも、帰りはこっち?」
不意にわたしを呼ぶ声がした。この綺麗な甘い声は、志摩みさとさん。
「あ。志摩さんもこちらですか?」
わたしは振り返って彼女を見る。彼女は人なつっこい笑顔で、わたしに歩み寄ってきた。
「やあね。『みさと』でいいわよ。本名は沢水絵里香って言うんだけどね」
「沢水さん」
「絵里香でいいわよ」
その時電車がやってきたので、わたしと『絵里香』さん… やっぱりまだペンネームの方が馴染みがあるんで、そちらの方の名前を使おうかな。
わたしとみさとさんは電車に乗り、ロングシートの座席に並んで座った。
 ふたりはしばらく同人誌やお互いの学校のことなどを話していたが、みさとさんはふと、わたしに漏らした。
「このサークル、大丈夫かなぁ」
「え? どうしてですか?」
「今日の恵美ちゃん、なんだか川島君に猛アピールしてたじゃない」
みさとさんも、わたしと同じこと思ってたんだ。
彼女は続けた。
「あんまりサークル活動に色事とか恋とかを持ち込んでほしくないのよね。恋愛沙汰でサークル崩壊、なんてことにならないといいんだけど…」
「そうですね。色恋が絡むと、ふつうじゃいられなくなりますからね〜」
「ふふ。さつきさんも、川島君が好きなの?」
みさとさんはわたしにそう言って、軽くウインクする。
「え、えっ? どうしてです?」
「だってあなた集会の間じゅう、川島君と恵美ちゃんのことをずっと見てたじゃない。やきもきしたような目で」
「…あの、えっと」
「いいわよ。川島君けっこういい男だし、高校時代の同級生だったあなたが好きだとしても、別におかしくないしね。あ。でも恵美ちゃんもいるし。複雑よね」
う… すっかり見透かされてる。わたしは真っ赤になってうつむいた。自分の気持ちは、完璧に隠していたつもりだったのに、回りから見たらもう、バレバレなのかなぁ。
「恵美ちゃんってトラブルメーカーだから、この先もサークルの中を引っかき回すような気がするの。可愛い子なんだけどねぇ」
「みさとさんは、川島君のこと、どう思ってるんですか?」
「あたし? あたしは、まぁ… 好き、かな」
「仲、いいんですか?」
「同じ専門学校の同級生だしね。
昼休みとかいっしょに喫茶店行ったりするし、ふたりで美術館に行ったこともあるわね。それってデートになるのかなぁ。
あ、でもあたし、他に彼氏いるし、恋愛感情っていうよりは、サークルの仲間として好きなの。
川島君才能あるし、なんでも気軽に話せるし、友達のままでいたいかな。だからあたしのことは心配しなくていいわよ」
「そん… 心配だなんて」
「あたしはぶっちゃけ、川島君が恵美ちゃんとくっつくより、さつきさんの方がお似合いだと思うのよ。だから応援してるし、手伝えることがあったら協力するわよ」
「あ、ありがとうございます」
「やぁね。敬語やめてよ。同い年なんだし」
そう言ってみさとさんは微笑む。ん〜、いい人だな。
「あたし次の駅で降りるけど、さつきさんは?」
「わたしはそのふたつ先」
「そう… ね、もし時間あるなら、どこかでお茶しない? もっとさつきさんと話してみたいな。小説の話とかもね」
「いいですね」

 そうやって意気投合したわたしたちは、次の駅で降りて、みさとさんのお気に入りの喫茶店で長い時間、同人誌や小説の話とか、学校の話とか,お互いの恋の話なんかまでしゃべっていた。
みさとさんは、表面的にはふんわりしていて頼りない感じだけど、中身は案外しっかりしていて、わたしの話も親身になって聞いてくれる。専門学校での川島君のこともいろいろ話してくれて、それはとっても新鮮。
今日は蘭さんの件で落ち込んでしまったけど、みさとさんという新しい友達ができたおかげで、気持ちも少しは上向いたかな。


「それって、さつきに対する牽制じゃない?」
みっこは耳にかかった髪をくるくる指先で巻きながら、『ふふ』と笑って言う。
学校帰りのいつもの喫茶店。みっこと話す川島君との恋。
彼女には事あるごとに、何度も川島君のことを聞いてもらっているから、わたしの悩みにも的確に答えてくれる。

「牽制?」
「恵美ちゃんよ」
「あ」
「きっと恵美ちゃん、焦ってるのね。さつきが川島君と親しくなってるから、あなたを川島君に近づけまいとしてるのかも。おもしろくなってきたじゃない」
「そんな、笑いごとじゃないわよぉ」
「ごめんごめん。でも、今はさつきの方が有利な気がするな」
「ほんとに?」
「今は一気に逆転をねらって、恵美ちゃんもいよいよ、女の武器を使いはじめたってところかな。でもそんなのに引っかかるようじゃ、川島君も平凡な男ってことね」
「わたし、川島君にそんな特別なものを求めてるんじゃないわ」
「あは、そうね。こうなったら恵美ちゃんが川島君を落とす前に、さつきの方からアタックするべきよ。グズグズしていると先を越されるわよ。先手必勝。もう短期決戦で行こ!」
「でも、川島君、好きな人が他にいるみたいだし…」
「また、そこでループしてるの?」
「こないだみっこが言ったじゃない。『志摩みさとさんは気になるからマークした方がいい』って。彼女は川島君に恋愛感情持ってないみたいだけど、川島君の方はわかんないじゃない」
「そうね〜… でもみさとさんは、さつきに協力してくれるんでしょ?」」
「まあ、そうだけど…」
「だったら、勇気を出して。ドンとぶつかって華々しく散る方が、気が楽になるって」
「そんな、縁起でもないこと言わないでよ!」
「うそうそ。あたし、なんだかうまくいく気がしてるのよ」
みっこはそう言ってウインクしてみせた。


 最後の夜は、雨が降っていた。
わたしと川島君は、いつものように九州文化センターでの小説講座を終えると、濡れたアスファルトにネオンが滲んでいる夜の大通りに出た。
川島君は今日はあまり話をせず、ちょっと元気がない様子。
冷たい秋雨の雫が足許を濡らして、からだが寒い。
違う。
雨のせいだけじゃない。
先週の蘭(あららぎ)さんとの会話や、彼女と川島君が集会の後、いっしょに帰ったこと。みさとさんとの会話なんかが、胸の中にもやもや溜まり、妙な胸騒ぎを感じて、心が震えるんだ。

しばらく黙って歩いて、川島君は『ふう』と、大きくため息をついた。
「ぼくはカメラマン失格かな。サークルも、運営できる器じゃないのかも」
「え? どうして?」
思いもかけなかった川島君の言葉に、わたしは驚いて聞き返す。やっぱり川島君と蘭さんとの間に、なにかあったのかもしれない。
それともまさか、志摩みさとさんとの間に…

川島君はわたしの問いには答えず、ただ空を仰いで、自分を鼓舞するように言う。
「でも、やるしかないよ。みんなの原稿を預かってる責任もある。ちゃんとやるよ」
「川島君… どうしたの?」
「ああ。つまんないこと言ってごめんよ」
彼は無理矢理明るい表情を作って言う。
「なにかあったの?」
川島君はしばらくなにも言わなかったが、
「どうせわかることだから、黙っててもしかたないか…」
と、意を決するように話しはじめた。

「恵美ちゃん… サークルやめるって。ぼくが撮った写真も『使わないでほしい』って言われたんだよ」
「蘭さんとなにかあったの?」
そう訊きながら、わたしは薄々勘づいてしまった。蘭さんは川島君に告白したんだろうってこと。そして…

「川島君、蘭さんのこと、振ったの?」

わたしのその言葉に、彼はびっくりした様子で聞き返す。
「どうしてわかるんだい?」
「だって… 蘭さん、こないだの集会の時、わたしに話してくれたもん。『川島君が好きだ』って。その彼女が川島君と訣別するようなことするなんて、他に考えられないから」
「…」
川島君は観念したように打ち明けはじめた。
「さつきちゃん、こないだ言ってただろ。『女の子に期待だけさせるのって、残酷』だって」
「う… ん」
「どうやらぼくは、残酷だったみたいなんだ。
ぼくは彼女の期待には応えてやれなかった。
『カメラマンとモデルだけの割り切った関係』なんて偉そうなこと言ったけど、実際の人間関係は、そんな綺麗ごとじゃ通用しないもんだな」
そう言うと川島君は、ますます落ち込んだかの様に、肩を落とす。彼の吐くため息が、白くかすんた。
もしかしてこないだの集会の帰り、蘭さんと川島君との間で、そういうやりとりがあったのかもしれない。それはきっと、『綺麗ごと』じゃすまないような、ドロドロとした会話。

「しかたないよ。もう終わったことなんでしょ? だったらもう蘭さんのことは忘れて、新しいモデルさんを探せばいいじゃない?」
そう川島君をなぐさめたわたしの声は、自分でもびっくりするくらい優しかった。
きっとそれは、喜びを悟られまいとしているから?
わたしって残酷。蘭さんが川島君に振られたことを、秘かに喜んでる。

「そうだな」
川島君も気分を切り替えるように、明るくそう応えたあと、続けて言った。
「さつきちゃん。モデルしない?」
「え? モデル? わたしが?!」
あまりに唐突で、冗談か本気なのかわからない。
だけどその瞬間、『好きじゃないとモデルになんて誘えない』という、蘭さんの言葉が脳裏をよぎった。

…なんか複雑。
川島君は『ただのモデル』として、割り切ってつきあえる人。
それは、わたしとの関係も、そう割り切れるってこと?
それは蘭さんの代わりにってこと?
わたし、彼女の代わりなんて、絶対イヤ!

「わ、わたしなんか、可愛くないし、スタイルもよくないし。モデルなんて無理よ」
「そうか。残念」
そう言って、あっけらかんと笑う川島君。こんな重大な発言を、ジョークにしないでよね。
なんだか初めてこの人に対して、軽い苛立ちを覚えた。
わたしはまるで、傷つけられた仕返しをする様に言う。
「友達にモデル級の子、いるけどね。その子、紹介しようか?」
「モデル級?」
「すっごい綺麗なのよ。蘭さんなんか比べものにならないくらい。スタイルだってとてもいいし、ポーズとるのだって上手いんだから。性格は勝ち気でちょっとワガママだけど、その分手応えあるし、基本的に律儀でいい子なの。川島君、一発で気に入るわよ」
「そうか。そんなにまで言うなら、今度会わせてほしいかな」
川島君は静かに言った。声のトーンがわずかに下がっている。

まずい。
なんだか雰囲気が悪い方に流れていってるみたい。
でも、今のふたりには、その流れを止められなかった。
「まぁ… 川島君に他に好きな人がいるんなら、無理にとはいわないけどね」

なんでわたし、こんな追い打ちをかける様なこと、言ってしまうんだろ。
川島君はそれっきり、黙ってしまった。

「……好きな人。いるよ」

おそろしく長い沈黙のあと、大通りの交差点の赤信号で歩みを止めた川島君は、信号より遠くを見つめて、わたしを見ないまま、思いもかけないことを言った。

え?
からだに冷たい戦慄が走り、わたしは立ちすくむ。
川島君はゆっくり振り返り、わたしを肩越しにじっと見おろす。
先週の『紅茶貴族』で向けてくれた優しげな瞳とは打って変わった、冷ややかな視線。
初めて見せる、わたしを拒絶するような瞳。
夜の交差点は色とりどりの傘が行き交い、賑やかで喧噪に満ちていたが、わたしたちふたりの回りだけは、静かな冷たさに包まれていた。

「同級生」

川島君はひとこと、そう言う。
「…」
「同じクラスになった時から気になっていたけど、その子のことを知るうちに、どんどん好きになっていった」
「…」
「最近は、いっしょに喫茶店行ったりとか、遊んだりできる仲になってきたんだ」
「…」
「その子もぼくに、だんだん打ち解けてはくれたみたいだけど、恋愛感情はないみたい。
ただの友達としか思ってくれてないみたいだ。完璧にぼくの片想い。
さつきちゃん。どうしたらいいと思う?」
「どうしたらって…」
「そう… そんなこと聞かれても困るよな。もういいよ」

やめて。
そんな冷たいまなざしで、そういう風に言わないで。
なんでわたしにそんなこと言うの!

『もういいよ』

そんな言葉。わたし、聞きたくない!
川島君のこんな冷たい顔、見たくない!
わたしを拒絶する川島君なんて、心臓が凍りつきそうなほど、怖い。

『川島君もさつきのこと、好きなんじゃないかな?』
とか、
『なんだかうまくいく気がしてる』
とか、
そんなみっこの台詞、こんな彼の前じゃ、吹っ飛んでしまう。

そんなこと、あるわけないじゃない!
川島君が好きな人って… 
同級生って…
片想いって…
志摩みさとさん。ううん。沢水絵里香さんだ!

川島君は絵里香さんが好き。
わたしのことはただの友達。
これはもう事実。

だから、川島君とつながっているためには、平気な顔して川島君のこんな恋話も聞かなきゃいけないんだろうけど、もう無理。無理よみっこ。わたし、そんなに強くない!
あなたは『ドンとぶつかって華々しく散る方が、気が楽になる』なんてお気楽なこと言ったけど、そんなこと、できるわけないじゃない!
わたし以外の人のことをせつなそうに話す彼なんか、見ていられるわけないじゃない!
『川島君が恵美ちゃんとくっつくより、さつきさんの方がお似合いだと思うのよ』だなんて。絵里香さんも、勘違いもいいところじゃない!

わたしに期待持たせる様なことばかり言った、みっこが悪い。
いい人ぶって、川島君の気持ちをものにした、絵里香さんが悪い。
違う。
なんか考えてる事がグチャグチャ。
わたし、醜い。
もうなにも考えたくない。
こんな、どう転んでも、心をズタズタに引き裂かれる思いをするのなら、もうなにもかもやめにしてしまう方がいい!

「ごめん。今日学校の課題もあるし、もう帰らなきゃ。さよなら」

わたしはかろうじてそれだけ言い残すと、赤信号に変わったばかりの隣の横断歩道を,無理矢理急ぎ足で渡った。
走りかけたクルマがタイヤを軋ませて止まる。
激しいクラクションの音。
ヒステリックな甲高いノイズは、いやがうえにもわたしの気持ちを揺さぶる。
渦を巻いて、側溝を雨が流れていく。落葉が真っ黒なマンホールの中に吸い込まれていく。
川島君…
百万分の一でも『わたしのことが好き』だという、淡い期待もあったのに。
もう絶望的。
追いかけても来てくれない…

どうしてあの頃の、ゆるくて幸せなままでいられなかったんだろう?
どうして求めてしまったんだろう?
わたしがあそこに留まってさえいれば、川島君とこんな結果になること、なかったのに。
たくさんのこと、望まなきゃよかった。
ただの友達でも、そばにいれるだけでよかった。
でも、もうダメ。
わたし、川島君が、怖い。
わたしを拒む彼の瞳を見るのが、怖い。
あの目を見ると、わたしという存在は、消えてなくなる…

大通りをかけ抜けると、わたしは立ち止まり、煮えたぎった自分の心を冷ますように、傘をおろして、宙を見上げた。
墨を流したような、漆黒の空。
水滴が落ちてくる。
バタバタとわたしの頬に冷たい雫が打ちつけ、ゴウゴウという雨音が、わたしをひとり、暗い闇の中に閉じ込める。

「もう… ダメ」
もう一度声にした言葉には、わずかに涙が混じっている。
その夜、わたしは川島祐二への恋に、自分で終止符を打つ決心をした。

END

26th Mar, 2011

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