イラスト日記

2000年 8月

DIARY INDEX


男女の接近ということ

1st Aug.2000

「戦後強くなったのは女性と靴下」といわれて久しいが、今、どこの職場でも女性の姿を見ることができる。
もはや女性は単なる補助要員や職場の花といったものではなく、実質的な労働力を担うようになっている。
なのに男ときたらどうだ。男性の社会認識は、女性に較べてもはや50年は遅れをとったと思う。
飯も炊けない、洗濯もできない、ビデオでさえ自分で予約しない亭主はたんといるし、家事を総て女性任せにしている男は普通の存在だ。
「俺は外で働いている」というのが彼等の大義名分だが、そんなこと今や女性だって一緒。
戦前の男尊女卑的風潮の頃からか、男性は家事から解放され、甘やかされるようになった。
ぼくが「50年遅れ」というのはそういう前時代的思想を抱いた男が今だに多いからだ。
だが、富国強兵策に則って「男子厨房に立たず」というしきたりが確立する以前、男も家事ができて一人前といわれていた。
事実、戦国時代の武士は、戦場では飯炊きやら洗濯やら、いっさいの家事をこなさねば生きていけなかった。
そうでなくても家事もできないような男が一人前の仕事をやれるわけがない。そんな男は今じゃ定年離婚を食らうに決まっている。
女性は社会のあちこちにおいて男性的役割を担うようになり、結婚からさえ解放され、そういう社会常識も定着し、
ファッションも生き方も男性に歩み寄ってきた。
でも男はどれほど女性的役割を担うようになっただろうか?


ダンスと花火とミニ浴衣

6th Aug.2000

今日は北九州市八幡東区のロイヤルホテルでぼくの社交ダンスの先生が競技会に出るというので、応援と見物に出かける。
アマチュアモダンからはじまってプロラテンとアマラテンに進み、プロのモダン部門(先生はプロのCD級だ)は3時を回った頃から競技開始。
先生はオープン4種目は準決勝で敗退したが、CD級単科はタンゴ、フォックストロットと勝ち進み決勝進出。準優勝の成績だった。
ぼくはというとはじめて目の当たりにしたダンスの競技会の雰囲気に気押され気味。
周り中タキシードとドレスいっぱいの会場はなんだか別世界にいるかのよう。
モダン競技がどちらかと言うと格調高い舞踏会のイメージなのに較べ、ラテン競技はロンゲ茶髪に顔黒スパンコールの今どきの若者ノリだ。
だがどちらの競技も、普段「社交ダンス」としてチンタラ踊っているステップとは段違いの 、スピーディでパワフルで華麗な、
まさに「競技(スポーツ)ダンス」という感じ溢れるダンスだった。
単科で準優勝の中嶋、坪井ペア

夜は誘いがあり、浴衣で小倉の街に繰り出し花火見物。
ぼくはだいたい祭りが嫌い。あの、人込みと雑多な食べ物とタバコの臭いが入り混じった猥雑な雰囲気が苦手だ。
普段なら誘われても断るんだが、今回出掛けたのは噂の「ミニ浴衣」を見たいがためだった。
人の多さにはやっぱり辟易したし、屋台の食べ物も性に合わなかったけど、まあ祭りの雰囲気は楽しめた。
花火もそれなりに綺麗だったのでよしとする。
それで噂のミニ浴衣はちらほらとではあるが見ることができた。
お端折下30cm位で浴衣をすっぱり切り、生脚にサンダル、もしくはルーズソックスという奇抜な出で立ちは誰がはじめたか知らないが、
いかにも女子高生好きする「今どきファッション」という感じで、目新しさがあってまんざらでもなかった。
「日本の伝統ある浴衣が台無し」だとかいう頭の固い意見もあるが、どんなに古い伝統も、当時は一番新しいものだったのだ。
むしろ女の子達はふつうの浴衣やミニ浴衣で祭りをドレスアップしているのに、浴衣やハッピ姿の男を見ないのは残念。
世紀末になって女性はますます元気だというのに、男性はなんだかぱっとしない気がする。


私を海に連れてって

7th Aug.2000

台風は南の海に停滞。おかげで山陰の海はふだんにもまして穏やかで美しい。
海岸線の国道を1時間ばかり走って、油谷湾を回って外海に出たら、ぼくのお気に入りの大浜海岸がある。
毎年のようにぼくはここに来る。北九州から日帰りできる距離の海ではここが一番綺麗だからだ。
でも今年はいきなり大ショック! なんと綺麗な海の真ん中に醜い消波堤ができてるではないか!
まったく美的感覚のない日本の役所のすることは、ろくでもないことばかりだ!
…と愚痴ばかり言ってもちっともポジティブじゃないので、「まあ遊び場が増えたなあ」とでも気楽に受け流し、バカンスした。


プロアマコンペにエントリー

8th Aug.2000

「まりのえさん(仮称)コンペに出ましょ!」
とダンスの先生にうるうるとお願いされて、今月27日にあるプロアマダンスコンペにエントリーすることになった。
出場競技はタンゴ。自分のもっとも苦手とする種目だ。
タンゴは踊っていてもタンゴらしく見えないし、ちっとも気分よく踊れない。
でもなぜ苦手なタンゴで出場するかというと、苦手だから成績が悪くても納得できるし、よい成績だったら他の種目の自信になるという逃げの発想。
でも出るからにはいい成績を取りたいのでこれから特訓。


冷蔵庫は生活の要だったという教訓

10th Aug.2000

冷蔵庫が壊れた。
氷を取り出そうと冷凍室を開けると、氷はすっかり溶けているし冷凍庫が冷えていない。
冷蔵室の方もすっかり温くなっていて、パーシャルしていた肉もすっかり肉汁が出てしまっている。
ワインや酒もぬるぬるだし野菜は腐るし、冷凍ものは全滅。かなりの被害だ。
どうやら長い猛暑でコンプレッサーがいかれたらしく、修理しても5〜6万円くらいはかかると言われ、買い替えるはめになった。
新しい冷蔵庫が来るまでの一週間は、冷蔵庫の有り難みを痛感させられた長い日々だった。
毎日買い物に出たりしないぼくにとって、冷蔵庫はなくてはならない必需品だったことがよくわかった。
冷たいお茶も飲めないし食事も肉や野菜がないので満足なものが作れない。バターがないのでパンも食べられないし冷えたスイカなんて超贅沢品。
試しに冷蔵庫なしで一週間過ごしてみるといい。冷蔵庫の有り難みが身にしみるはずだ。


海峡花火大会

13th Aug.2000

先週花火を見たのに今週もまた花火大会に出掛けた。
今夜の花火大会は北九州でいちばん規模の大きいもの。門司区と下関市とで海を挟んで同時に打ち上げる関門海峡花火大会だ。
門司側の花火を見たが、どう見ても下関に負けている。
下関は最後には八尺玉が乱れ飛び絢爛豪華に終わったのに、門司の花火は貧相なもの。
北九州市は橋ばっかりかけてないで、花火にももっとお金を注ぎ込んでもらいたいものだ。


そう言えば夏コミ

15th Aug.2000

そういえば今東京では夏のコミケットがあっている真っ最中だ。
まりのえは地震が怖い。関東大震災はいつ起こっても不思議ない状況なのだ。だからよほどの事がない限り関東地方には近寄らない。
ついでに飛行機も怖い。だいたい金属でできた物体が空を飛ぶというのが不条理だ。よほどの事がない限り飛行機には乗りたくない。
そう言うとたいていの人からは笑われる。が、ぼくは本気で言ってます。


特訓

19th Aug.2000

もうすぐ競技会。なんとかステップを覚え、細かいポーズを矯正しているところ。
麻衣ちゃん先生はいつもニコニコと厳しいことを言ってくれる。
ステップを完全に自分のものにしておきさえすれば、それなりに自信持ててアガらずにすむんだが、こりゃ本番が心配。


最後の追い込み

25th Aug.2000

いよいよ日曜は競技会。最後の仕上げだ。
しかもPRESENTsの新刊発行に向けてのコミックの最後の追い込みも重なって、てんやわんやの状態。
そういえば今年の夏は20世紀最後で最強のミレニアムサマーだったというのに、バカンスなんぞはちっともできなくて、
ダンスと仕事に明け暮れたちょっぴり悲しい夏だった。
新刊の入稿は9月上旬。なんとか9月10日のドームでのイベントに間に合いそうだ。


第一回プロアマコンペ

27th Aug.2000

前回競技会を見てから一月にもならないうちに、自分がその舞台に上がるとは思ってもいなかった。
今日は第1回プロアマミックス競技会。この日のために一ヶ月、苦手なタンゴを練習してきた。
これまでスタジオで踊っていると、競技場の広さに戸惑う。とりあえず練習タイムがあるので、しばらく競技場で脚を慣らした。
出番は昼過ぎ。さすがに緊張。
「まりのえ(仮称)さんって本番に強いタイプですか?」と、麻衣ちゃん先生。
「そう言えば、ぼくはスポーツとかしてなかったし、こういう競技会に出場するのなんて初めてなんです」
と、答えになってない返事をするほど緊張していた。
でも結構開き直るタイプとでもいうか、本番ではやけでぶつかっていって、自爆するタイプだった。
名前を呼ばれてフロアーに進み、ライトを浴びて大勢の観客の前で麻衣ちゃん先生と組んだとたん、頭は真っ白。
1分50秒をわけがわかんないまま踊ってしまった。
「まりのえ(仮称)さん。足、震えてましたね」と、麻衣ちゃん先生にからかわれた。
…で成績発表。
とりあえず優勝。まあ、自分の出たクラスは3組しかいなかったから最低でも3位なんだが、やっぱり優勝は嬉しい。
これからのコンペにはずみがつくというもの。頑張って上位のクラスを目指すぞ!


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