イラスト日記

2002年 4月


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8月31日を思い出すな〜

30th Apr.2002  


4月最後の今日は、旧アトリエの引き渡し日。今日でこの馴染み深いアトリエともお別れだと思うと、感慨深いものがある。
思えば3月20日に新アトリエに入居して40日。まるで夏休みの宿題のような引っ越しだった。
「3月中に終わらせるぞ」と張り切ってかかったものの、「まだ先は長いさ」とたかをくくり、4月上旬は「お盆(15日)までには終わらせよう」と決心するものの、なにかとイベントにかまけて延び延びになり、4月も終わりが近づいた頃になって、何度逆算しても今月中には宿題が終わらないことに愕然となり、あちこちに手伝ってもらいながらやっと最後の一日でバタバタ片付けたという感じ。おかしいなあ。まりのえは小学校の頃は7月中には夏休みの友を終わらせるようないい子だったのに、なにが人生狂わせたんだか、、、
とにもかくにも引っ越しはおしまい。まずは大きな峠を越えてほっと一息ってところ。
だけど新アトリエに山積みになった段ボール箱を見て、まだまだ先の長さに溜め息つくまりのえだった。


再生工場

28th Apr.2002  


最後の週末は再び野郎3人の助っ人を頼んでのお引っ越し。
さすがに野郎どもはパワーが違う。理系&技術屋の男達という事もあって、エアコンやスチール棚をサクサクと解体して梱包・運搬する様はまったくもって手際がよい。しかもまりのえが使わないと判断したものでも、きっちり修理して使い道を作ってくれるという、まさに野村再生工場並のリサイクル野郎達だった。限りある資源を有効に活用してくれた彼等に感謝感謝!


お引っ越し満開

21th Apr.2002  


次の週末は技術系の野郎共3人でのお引っ越し。
ミニバンとマイToppoで3往復して運んだものの、出るわ出るわ。資料と本の山。
まったく「塵も積もれば山となる」とはよく言ったもので、この7年間で「資料」と称して取っておいたチラシやパンフの紙屑が山のように出てきた。引っ越しの極意は「捨てる」ことにあるというが、未練がましいまりのえは「これ、いつか使うかも、、、」とイジイジと捨てられない。きっとひとりで荷造りしていたら、今年いっぱいかかっても終わらないだろうな。とにかく手伝って下さる友人に感謝!


お引っ越し全開

14th Apr.2002  


この週末は本格的にお引っ越し。
資料本をはじめとして家具や冷蔵庫、洗濯機などの生活用品を移動した。今回は友達や弟子(笑)が応援に駆けつけてくれての人海戦術だ。おかげでかなり順調に作業は進み、夕方にはめぼしい物は運び終えることができた。
まりのえは連日の引っ越しってのもあって早い段階で根をあげていたが、弟子(笑)達は細腕の袖をまくり上げて本の束を抱えて階段を駆け上がっていく。う〜ん。あなどれない体力だ。やっぱりピチピチの若者だけのことはあるのう(おやぢモード)。
それにしても手伝いに来てくれたみなさん、本当にありがとう。
この引っ越しが終わってアトリエが綺麗になったら、盛大に引っ越しパーティをやるからね!


さよなら5913642

8th Apr.2002  


今回の引っ越しでは電話局のなわばりが変わるので、電話番号も変更になる。
今日は慣れ親しんだ旧番号の最後の日。なんだか感慨深いものがある。
思いがけない人からの意外な電話。喧嘩した長電話。仕事の依頼や催促。恋人からの電話を心待ちにしていた夜。
な〜んでもこの電話番号でかかっていたんだよね〜。
さよなら5913642。


祝ADSL開通

6th Apr.2002  

アトリエ移転を機にインターネット回線をISDNからADSLに変更。今日はその開通日だ。
NTTから送られてきたスプリッターとモデムをセットしてさっそくアクセス。ところが案の定うまくいかない。まりのえは自慢じゃないが、インターネットの知識は貧弱である。そのくせに偉そうにサイトを運営しているのだ。人前じゃ知ったかぶりをしているが、こうやって機材繋げて設定してると化けの皮がはがれる。それでも格闘の末なんとかADSLも開通させることができた。
おお! 速い速い!
期待していた程の速さはなかったが、それでも画像だのフラッシュだのがサクサク表示されるのはストレスがなくていいぞ!
とりあえずブロードバンドにちょっぴり進化したマイインターネットに拍手!


宙吊り同人天国

4th Apr.2002  

うちのカラーコピー機は小錦より重い。以前部屋の模様替えをした時ひとりで動かしてみたが、僅か1cmの段差を上げるのにさえ四苦八苦した。
今回はエレベーターなしの3階へのお引っ越しなので、自力移動は断念して業者に頼んだ。
ピアノ運送用のクレーンつきトラックがやってきてコピー機2台とついでにテレビを搬送。まずは小手調べに白黒コピー機を3階に上げる。まりのえはてっきりクレーンで釣り上げると思っていたが、これは体育会系のお兄さんふたりがもっこを担ぐようにして、コピー機をかかえて階段を登っていった。ちなみにこの白黒コピー機は千代の富士くらいの重さだ。さすがにプロはすごいね。
そしてメインのカラーコピーはクレーンでグングン持ち上げられた。宙吊りされた眺めはなんだか間抜けでおかしいね。そしてお兄さんふたりが顔を真っ赤にしてウンウン唸りながらコピーをベランダから搬入してくれた。やっぱりプロはすごい。だが、もうひとつまりのえにはお願いがあった。
「あの〜」と、ゼイハアと息を上げているお兄さん達に、まりのえは気まずく切り出す。
「ついでにテレビをロフトに上げてくれませんか?」
「…え…」
お兄さん達はロフトを見上げて沈黙。うちのロフトは階段が垂直なので、リモコンを持って上がるのでさえ一苦労なのだ。暫く考えていたお兄さん達はよっしゃとばかりに気合い入れて、ふたりがかりでテレビをウエイトリフティングのように持ち上げた。上でもうひとりがそれを受け取って引っ張り上げる作戦だ。か〜なりの格闘の末、テレビは無事にロフトへ。ちなみにこのテレビは藤原紀香くらいの重さだ。やっぱプロはすごい!
お兄さん達いわく。
「コピー機よりテレビの方がしんどかったです」
お疲れさまでした。


フリーカメラマン

2nd Apr.2002  


まりのえは4月からカメラマンの仕事も正式に始めることにした。
これまで素材撮りや資料撮りなどでカメラマン的な仕事もやっていたが、フリーカメラマンとして某写真社と契約したのだ。
ところが早速問題発生。プロの使用に耐える標準レンズがうちにはないのだ。暫くは収入より設備投資の方がお金がかかるカメラ貧乏状態になりそう。
まったくトホホな話だが、やっぱカメラはビジネスとしてやっていきたいまりりんなのだ。